匠道 SHODO MIZUNO
匠プロフィール 匠コラム〜バット編〜 匠コラム〜グラブ編〜 今回のコラム MIZUNO BALLPARK

今回のコラム This Column

戻る戻る 1 2 3 次へ次へ
 

イチロー用バットの条件

 

 最後も『音』である。
 金属のケージの中にバットが山積みされている。すべてはイチローの使う重量帯の荒削りバットである。グリップエンドには『615』『580』『610』とマジックで書かれている。つまりは1615グラム、1580グラム、1610グラム。
 1本1本、久保田は手に取りながら、さらに選別していく。
 パッとみて、1本の荒削りバットを別の棚に入れる。
「これは節があるから、ダメです」
 次の1本は右手でつかむと、コンクリートに2度、3度と軽く当ててみた。
<コ〜ン、コ〜ン>
「これは音が低いし、目が狭いからダメです」
 また一本。
<コ〜〜ン、コ〜〜〜ン>
「これも低い。ダメ」
「これは目切れがあるから、ダメ・・・」
 久保田は困惑顔を浮かべる。
「10数本のバットの中で、イチローさんのバットになるのはゼロでした」
 ああ、これは、と久保田は漏らす。コキンンコキンンコキン。音がいい。
「やっと、試合で使えそうなのが1本、出ました。ここ(ケージ)には270本あります。さて何本、使えそうなものが出るでしょう」
 また1本。
<カキンカキン>
「これはもう、OKですね。木が若い。70年ぐらいでしょうか。全然、模様も違うでしょ」
 オレンジ色のゴムが指先に張られた白手袋で荒削りのバットを握り、さっと判断し、「これは市販用」「「これはアドバイザリー契約の選手用」「これはイチローさん用」といった具合で仕分けしていく。
「ここにくるまでに、100本のうち、20本が不良になっています。結局、イチローさんのバットの条件を満たしたバットは1000本のうち、たった1ダースほどです。ざっと1%から2%ですか。1万本で100本です」

 
 

人間の都合・木の都合

 

 久保田はつくるイチロー用のバットは年間10ダース、つまり120本である。キャンプ時、開幕時、シーズン途中、シーズン終盤の四回にわけて2〜3ダースを日本から送る。
 そのバットを厳選するため、いったい何本の丸棒、あるいは荒削りのバットを見ないといけないのだろう。根気も眼力もいる。
「そのほか、アドバイザリー用が10%いくかいかないか。こちら(市販用)が20%くらいでしょうか」
 でも、と、バット用から外された荒削りバットにも優しい視線をおくる。
「こういう木はバットには不向きだというだけですよ。木には責任がないのに:。でも人間のエゴでね、これはバットにいい、悪いとランクをつけていいのかな、と思います。木に対して非常に失礼な作業ですよ。おまえはバットに合わないからこっちとか:」
 そういえば、国産バット材の主流となってきたアオダモはこのところ、自然保護などもあって、確保が難しくなっている。
 だから、と久保田は言う。ちょっぴり言葉が滋味をおびる。
「こういう木目が曲がった木は生えているときにわかっているんです。バットにしたら、目が切れる、と。それだったら、その木は切らずに山に残しておくべきだと思うんです。ぜ〜んぶ、人間の都合ばかりです。木の都合は聞いていないのです」

 
 

久保田のバット講義

 

切り株を前に語る久保田名人 バット談義がつづく。
これはバットにはどうかな、と久保田は1本の黒っぽい荒削りバットを手にする。木目が細かい。濃い。
「これは環境が非常に厳しいところで育ったから、なかなか大きくなっていないのです。例えば、岩の上に張っているような、そんな栄養がないところだったのでしょう。1ミリ太るのに3年も4年もかかっています。年数が経つと老木になってしまう。同じバットの太さになるのに、ふつうの60年が120年もかかってします。こういう木はおとなしい。バットに不向きでも、家具で強度がかからず、動かないところに使えばいい。ま、適材適所ということです」
久保田名人のバット講義  これまた余談。
木の癖をみれば、木の育ちがわかる。人と同じである。これは色が白く、目幅が広い。
「若いですけど、成長が早いから目の幅が広いんです。恵まれた環境で育っている。時間はこちらの半分もかかっていません。ま。人間でいうたら、温室育ちみたいなものです」
 もう1本。こちらは目が細い。
「厳しい環境で育ったのでしょ。こちらはしなりがある。戻りがシャープです。反発力があります」
 どこか人間みたいだ。
「こっちの白い木がエリートです。じゃ、ほんとうに社会で役に立つのか。厳しい社会で持つかどうか、耐えられるかは別問題です」
 ふたたび音を聞く。
「こちらの温室育ちはきれいだけれど、音が濁っている。こっちの厳しい環境の木は音が高くて澄んでいる」
 これはいい。これはいい木です、と久保田はひとりごちる。音も申し分ない。
<キ〜ン、キ〜ン>
「キズはうまく削れば、なくなります」
また別の1本を手に取る。木目の色に濃淡がくっきりとある。
「これは目の色がちがう。たぶん異常気象があったのでは、と思います。あるいは地滑りがあって、目が切れたとか。復活するまで、闘病していたようなものです。何年も大きくなっていない。病院に入っていたのと一緒です。バットにすると、強度の差があるから、ここで割れてしまいます」

 
 

乙女の祈り

 

 バットの選別にもどる。
 つまるところ、すべては音からはじまる。ではイチローのバットの音とは。
 久保田は思案する。
「ピアノの音色、いやバイオリンの澄んだ音ですかね。大きい音じゃないですけど、遠くまでよく聞こえる。余韻が残るんです」


 バット談義、いや音談義がおわる。
 ならば、と、バット一筋の半生を音楽の曲に例えてもらった。いつものごとく、突飛な質問ではある。バット作りを曲にすると。あるいは一番好きな曲は。
 六十五歳の久保田は微笑を浮かべる。
「おとめのいのり、クラシックの乙女の祈り、ですか:」
 『乙女の祈り』。オルゴール曲の定番である。ポーランドの女流ピアニストが作曲した作品。
「いい。なんとも言えないじゃないですか。心が和む。ホッとします。この仕事に好きで入ったわけじゃないですけど、いまはバット作りに安らぎを覚えるときがあるんです。バット作りは仕事の部分と、安らぎの部分と:。わたしのすべてじゃないですけど、なくなると、寂しくなるんじゃないでしょうか」
♪ポロロロン〜。
♪ポロンポロン
名人は「乙女の祈り」のメロディーを静かにハミングするのだった。

 
 
戻る戻る 1 2 3 次へ次へ  
 
anceEnd --> l> http'); //--> anceEnd --> l>