匠道 SHODO MIZUNO
匠プロフィール 匠コラム〜バット編〜 匠コラム〜グラブ編〜 今回のコラム MIZUNO BALLPARK

今回のコラム This Column

戻る戻る 1 2 3 次へ

名人と落合博満

 “しなり”といえば、中日ドラゴンズ監督の落合博満とのエピソードを思い出す。
 「落合さんからクレームがあったんです」と漏らすと、右手の人差し指で老眼鏡をひょいと持ち上げた。
  落合は打撃の達人である。ロッテにいた1985(昭和60)年から、バットを製作するようになった。その年と翌年、二年連続の三冠王を獲得する。
 名人は名人を知る。やがて、ふたりには強い信頼関係が生まれた。落合からバットの注文が出されたあと、「久保田さんはバットを作るプロで、おれはそれを使うプロ。あとはあんたに任せる」とまで言ってくれた。
 だが95(平成7)年のシーズン終了後、現役の落合が岐阜の養老工場までやってきた。久保田がつくったバットを2本持っていた。
 2本を並べ、ひとつのバットのグリップが細い、という。そんなはずはありません。いや間違いない。おれは素手でバットを握っているから、ちいさな誤差でもわかる。握った感じが違うのだ。そんな職人同士のやりとりがあった。
 そんなバカな、と思い、名人はノギス(副尺つきの金属製ものさし)を取り出し、グリップ部を計測した。愕然とした。たしかに落合の指摘通り、ひとつバットのグリップ部が0.2ミリ細かった。
 52歳のときだった。
「ちょうど老眼になったころだったのです」
 雨が降ったり、暗かったりするときにはノギスの目盛りがみえにくくなっていた。そういえばミズノに入社35年目、1週間の勤続慰労休暇をもらった際、地図のちいさな文字が読みづらくもなっていた。視力の衰えが、バットの誤差になっていたのだった。
 名人は自身の非を詫び、思い切って率直な疑問を投げてみた。野球経験がないものですから、こんな失礼な質問をさせてもらっていいですか、と。
落合博満とのエピソードを語る久保田名人 「わたしの中で0.2ミリの誤差がいけないという理由があまり理解できません。なんでダメなんでしょうか、とお聞きしたんです」
  落合は丁寧にバッティングのメカニズムを説明してくれた。バットは強く握ってはいけない。ボールがバットに触れた瞬間、ぎゅっと握りしめる。
そのとき、バットのグリップが細いと手の中でグリップが遊んじゃう。ゆるんじゃう。だから、ダメなんだ。
「そして、おっしゃった。バットは棒じゃなく、ムチのように使わないといけない、と」

 
 

道具としての一級品

 

 名人は直後、老眼鏡を使いはじめる。肉眼で見ていたものと、メガネを通して見ているものは微妙に感覚が異なる。バット職人としての衰えを自覚し、後進の指導への比重を移していくことになる。
 バット名人にとって、落合は師匠のような存在である。なぜか相性がよかった。言葉がストンと心に落ちるのだった。
 こんなこともあった。落合が養老工場にきた際、名人が素材選びで外した角材を拾った。ぽつりとつぶやく。
「なんでこんないい顔をしたのがダメなの」
 名人が説明する。その木は木目が乱れて、あまり見た目がよくありません。だからプロ用のバットには適しません、と。
「おれはこういう木が好きなんだ。こういう雰囲気のある顔はすごく好きなんだ、と落合さんはおっしゃった」
 先輩から引き継いだ選別基準がすべて正解ではないのだ。たしかに木目がきれいに流れた、バット向きとされる「素直な木」は商品として一級品となる。だが木目が乱れても、しなりや粘りがある木もある。商品としてはダメでも、道具として一級品となるのだった。
 そのときも言われた。バットは棒で使っちゃダメなんだ。ムチのように使うのだ。グリップを絶対、強くつかんじゃいけない。バットが下に落ちるくらいソフトな握りでいいと教えてくれたのだった。
 つまりは、商品は人が手にして喜ぶもの、道具は人が手にして使うものである。名人はプロの道具をつくる職人に徹する。
「いい仕事をしたいというより、お客さんに満足してもらうのは、プロとして当たり前のことですよね。特別なことじゃない。当然のことなんです」



 

バット作りの50年

 

 “お客さんありき”でバットを作りつづけてきた。節目に際し、「50年」を色に例えると、そう名人に聞いてみた。
バット 「グレーかな」
 なぜだろう。
「人間的にもグレーゾーンでありたいと思うんです。黒でもない、白でもない、どちらにも偏らない。あるときは黒に近く、ある時は白に近い。どっちにでも振れるよう、自分の振り幅をおおきくしておきたい」
 グレー色とは曖昧なイメージであるが、むしろカラフルな紅葉みたいな自在な雰囲気である。しずかである。一色には特定されたくない。自由というか、自然体なのだった。

 久保田名人の半生をたどる。まずは『ものづくりの原点』から。

 
戻る戻る 1 2 3 次へ