匠道 SHODO MIZUNO
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松瀬学(マツセ・マナブ)

1960年長崎県生まれ。1979年福岡県立修猷館高校卒業。1983年早稲田大学卒業後、共同通信社入社。 共同通信では一貫してスポーツ畑を歩み、1996年から4年間はニューヨーク勤務。2002年1月、同社を退社、ノンフィクションライターに。

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匠〜バット編〜第一章

 
 
2008年12月10日  

"いま"を生きる

 

 名人の朝ははやいのである。
ある秋の日だった。午前5時前には床を出る。紺色のトレーニングウエアに着替えると、薄暗い土間の黒い腹筋台に体をのばす。
  玄関脇の岩の置物から水の湧き出る音、カセットレコーダーからのクラシック音楽、飼い鳥の鳴き声・・。耳に心地よい音を聞きながら、体をリズミカルに伸縮させていく。ふっ、うっ、ふっ、うっ、ふっ:。吐息に合わせ、凛とした朝の空気がゆれる。
  腹筋がなんと200回、背筋もこれまた200回である。額に噴き出す汗を、ブルーのタオルでぬぐう。65歳のバット名人は元気な野球少年みたいな笑顔をつくった。
「きっかけです。一日がはじまるな、という、わたしのきっかけです。腹筋、背筋の疲労度で自分の体調がわかります。自分のコンディションをきちっとやっていると、気持ちがいいじゃないですか。そうすると、快適な自分の時間がつくれるし、ある意味、いい仕事もできるんじゃないかと思います」
  朝の腹筋、背筋は40歳の頃からはじめた。体力の衰えを少しでも防ぐためだった。最初は30回から、回数を少しずつ増やしてきた。55歳のとき、200回となった。1年365日、毎朝、つづけてきた。出張にいったら、ホテルでやる。元旦には何回できるかトライする。
これまでの最高は800回。
「800もやると、尻がすりむけちゃうんです。そのあと、しばらく、つらいんです」
  バット作り一筋に半世紀、自身の境遇に最善を尽くす人生である。すなわち、いまを生きる、のだ。笑い声の中に名人の「死生観」がのぞく。
「朝になると、生きているという保証はだれにもないんです。自分の人生のなかで、その瞬間、瞬間がいちばん若い。その“いま”を大事にできんかったら、先の人生など充実できないでしょ」

 
 

象鼻山と久保田名人

 

 岐阜県養老郡養老町―。養老の滝、孔子伝説で有名な養老山のそば、象鼻山の麓に名人の実家はある。午前6時、学校のチャイムみたいな柱時計の時報が鳴る。庭から愛犬マロンも「散歩だよ」と鳴き出した。久保田名人の山散策
  さあ山歩きである。これも日課だ。庭から続く山をマロンと一緒に歩いていく。いや、駆けていく。はやい。名人は山伏のごとく、飛ぶがごとく、である。腰につけた鈴の音がチリンチリンと響く。
イノシシの遊び場を横切る。シカの抜けたツノを蹴飛ばす。道は細く曲がりくねっていた。起伏ははげしい。足がすべる。蜘蛛の巣が頭にかかる。澄んだ冷気がひろがる。10分も歩けば、樹木の匂いが強くなる。スギ、ナラ、ヒノキ、マツ:。バットの原材料となるトネリコの木もある。さわやかである。


 森の間に差す朝陽が神々しくみえる。かれこれ40分、展望がひらける電力会社の鉄塔下の広場にでる。とおくに恵那山がそびえ、大垣の市街がひろがっている。逆サイドには養老山地がなだらかな曲線をえがく。
象鼻山の森の間に差す朝陽象鼻山からの景色  遠景を眺める目が柔らかい。名人がふと、漏らす。言葉が滋味をおびる。
「自然に感謝しています。自分が健康でいられるのは、この山のお陰です」
自然に囲まれ、名人は最近、ここで般若心経をひとり、唱えはじめた。3回はくりかえす。バット作りの引退後、四国の八十八カ所巡りをしようと決めているからだった。
「四国を回るなら、(般若心経を)おぼえることがマナーのような気がしましてね」
そんな律儀なひとなのだった。そういえば、2003(平成15)年11月に『現代の名工』に選ばれたとき、受賞者を代表してスピーチをすることになった。人前で話をするのは不得手だった。毎朝、この山間の鉄塔の下でひとり、練習したものだ。マロンの前の愛犬の名前がロッキーだった。「ロッキー、どうだった」と愛犬に聞きながら。

 
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