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名和は選手の要望や注文をメモ書きしてきた。形状やサイズはもちろん、バットの性能の話を聞いた。発見もあった。反発のいい木がいいのかなと思っていたら、反発はさほどよくなくてもいいと言われたこともある。
名和は両手を目の前に伸ばし、波のような曲線をつくる。
「この仕事は通り一辺倒の作業じゃダメなんです。まっすぐじゃなく、うねうねとした仕事を取り入れていかないといけないと感じます。選手のこだわりを反映させないといけないからです」
名和の責任は間違いなく、重みを増している。久保田の引退が近づくにつれ、そう実感もするようになった。担当するプロ選手の数は増えてきた。
2009年。松井秀喜のバット作りを名人から引き継ぐ。やがてイチローのバット作りも担うことになる。
イチローからのメッセージ。「覚悟を持っていただきたい」と伝えると、名和の顔から微笑が消えた。
「決して満足しないようにということだと思います。満足することはありませんけど:。あれだけすごい方なのに、もっと強い打球を打ちたいとか、常に向上心をお持ちになっている。だから、わたしも常にいいバットを目指さないといけません」
2009年は記録がかかるシーズンとなる。日米通算最多安打、9年連続200本安打:。
「(引き継ぎの)タイミングはいつでも一緒でしょ。200本安打にしても、4年連続だろうが、5年連続だろうが、続けられている限り、責任の大きさは変わりません。久保田もわたしもプレッシャーがあるんですけども、とにかくいいバットを作るしかありません」
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