実は最初、ミズノが作っていたボールには、112の縫い目があったが、
現在のように108の縫い目になったのは、昭和23年(1948年)。
アメリカの硬式ボールが108の縫い目に変更されたことがきっかけに、
ミズノのボールも縫い目を108に統一。
日本の野球創生期と言えるこの時代は、
ボールを製造するための規定というものは存在せず、
各メーカーが作るボールの大きさや質量には
それぞれに微妙な違いがあった。
しかし、「それでは野球の競技としての発展は望めない。」と考えた利八は、
大正5年(1916年)、現在の夏の甲子園の前身にあたる、
全国中等学校優勝野球大会の主催者、朝日新聞社にボールの規格化を進言。
その声がきっかけとなり、
質量:5オンス1/4、周囲:9インチないし、9インチ1/4 とする
今なお変わらない硬式ボールの規格が誕生。





