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”打撃の神様”と呼ばれた伝説のプレーヤーは1927年に60号本塁打を放ち、新記録を打ち立てた。
「この記録を破れるなんて言うヤツがいたら会いたいものだね」。
ダグアウトに戻る途中、そう言ったと伝えられている。
その伝説の男が最初の本塁打を放ったヤンキースタジアムに、松井秀喜が立った。
大リーガーという夢を叶えて。そしていつか、その男の記録を超える日がやってくるかもしれない。
夢追いし人は、夢託されし人でもある。かつて松井秀喜がそうだったように、野球少年たちの夢は大きく果てしない。
ベースボールを愛する限り、プレーヤーの数だけ夢がある。
誰にでも”ジブンのメイジャードリーム”がある。 |
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松井秀喜が大リーグという大きな夢をつかんだ。その道程にはバット作り名人・久保田五十一とグラブ作り名人・坪田信義という、ミズノが誇るマイスター(匠)の存在があった。
まさに二人のマイスターと二人三脚でつかんだメイジャードリーム。三人のそれぞれの言葉を通じて、幼き頃から慣れ親しんだ「m」マークとともに大リーグという夢の舞台に立った松井秀喜の”インサイドストーリー”を紹介したい。 |
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僕は子供の頃からずっとミズノのグラブやバットを使ってきました。大リーグの一員となっても、子供の頃と同じようにミズノの野球品を使えることは、僕にとってすごく幸せなことです。
2002年11月、例年どおり養老にあるミズノのバット工場まで足を運び、2003年大リーグで使うバットを久保田名人に作っていただきました。グラブに関しても坪田名人に高校時代から作っていただいておりまして、大リーグ用に新しく作っていただいたグラブを使っています。
大リーグという大舞台で、また新たにミズノと一緒に歩み始めることができて大変うれしく思っています。日本の野球を愛する子供たちが、僕が少年の頃にそうだったように、ミズノの野球品を楽しく使って楽しくプレーしてくれればうれしく思います。そのためにも大リーグで頑張って、ミズノの「m」マークが日本だけでなく世界中に広まってくれたらいいなと思っています。
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久保田五十一のバットを松井秀喜は1993年の読売ジャイアンツ入団以来、使い続けてきた。
「私は44年間、この仕事をやっておりますが、松井選手が大リーグに挑戦されるということで、もう一度初心に返りまして、松井選手のバット作りに精進したいと思っています」
久保田名人は松井選手とミズノとの契約発表の記者会見に同席し、そう語った。
「松井選手の大リーグ用バットは2002年11月、松井選手に工場にきていただいたお話を重ね、実際にボールを打って確認していただいたうえで決まりました。これまで使ってきたバットのしなりを失うことなく、そのうえで打球部を広くする形状になっています。
その結果、スイートスポットが約5センチから約8.5センチになりました。材質としてはこれまでのアオダモに加えて、ホワイトアッシュ、メープルの3種類を用意しました。
私の気持ちからすれば、松井選手は10年間アオダモを使われたわけですから、日本を代表するアオダモのバットで活躍され、すごい記録に繋がったら最高だと思います。
もちろんどれを使われるかは、お使いになる松井選手がベストだと思うことがいちばんです。
実は、松井選手ご本人から『バット、いい感じですよ』というお答えが聞きたくて、はじめて大リーグのキャンプにきたのですが、記者会見の合間にちょっとお話させていただいた感じでは満足されているようで安心しました」
久保田名人の削ったバットはマイク・ピアザ選手やチッパー・ジョーンズ選手、古くはピート・ローズ選手に愛用されるなど、すでにMLBで大活躍している。
「この仕事を始めた頃、大リーガーの選手のバットを手掛けられるなんてまったく考えられなかったことですから、とてもうれしいですね。野球の輸入国である日本から本場のアメリカに道具が供給できるようになるなんて、本当に夢のようで感慨無量です。
でもそれは、松井選手、イチロー選手、古い方では落合さんはじめ衣笠さんですとか、どの選手もそれぞれに個性があるわけでして、素晴らしい選手の方たちと接し、貴重な意見をいただいたことではじめてバット作りができるわけなんです。
そういう選手の方々に恵まれて、今の私があると思います。しかし長い行程を経て1本のバットが出来上がるわけですが、その行程でいろんな方の協力があってこの仕事が成り立っています。
そういう人たちへの感謝の気持ちを忘れてはならないですし、自然が恵んでくれた恩恵に感謝する気持ちも持ち続けたいと思っています」
では、久保田名人にとっての”メイジャードリーム”とは。
「松井選手も大リーグを夢見て野球をやってこられたと思います。大リーグに行きたいという熱い心が夢を実現させる力になるんです。日本の野球少年たちも松井選手をお手本に熱い心で野球をやってほしいですね。
そうして松井選手をはじめ、もっともっとたくさんの日本の大リーガーのもとに、私のところからバットが送れるようになることを願っています」 |
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坪田信義は高校時代から松井秀喜のグラブを手掛けてきた。その頃を坪田名人はこう述懐する。
「高校のグラウンドに行って松井選手のプレーを見たこともありました。最初はファーストでしたが、あの頃は本当に下手でしたね(笑)。プロを狙える逸材ということで、2年生の時にサードにコンバートされたんです。
身体つきが2002年引退された秋山幸二選手タイプだったので、秋山モデルのサード用を作って渡しました。内野手へのこだわりは相当強いものがあって、ゴールデングラブ賞をとる前は高校時代にサードで使っていたグラブで外野を守ったこともあったんです。
最初の外野手用グラブは秋山モデルでしたが、その後、松井モデルを使うようになりました」
2003年、大リーグへの夢を実現した松井選手のグラブは大幅にモデルチェンジしている。
「2002年、日米野球がありましたね。あの時に大阪ドームに行ったんです。マスコミの人がすごくて話もできないなと思って声もかけずにいたら、練習の時に私を見つけてくれて『あの、グラブのことで相談があるんですけど』と松井選手の方から声をかけてくれたんです。
それで養老の工場にバットを削りに来られるので、その時にグラブも相談しましょうということになりました」
グラブについて、松井選手の方から具体的な要望を出してきたのは初めてだったという。
「松井選手の方から大きくしたいとおっしゃったんです。革を厚くしてガッチリしたものを作ってほしいとも。それで、これまでよりも5ミリ大と10ミリ大の二つを作ったんですが、松井選手は10ミリ大の方がいいと。
比較的軟らかい革を使っていますが、親指と小指だけでなく他の3本の指にもフエルト(芯)を入れています。イチロー選手は軟らかいフエルトなんですが、松井選手の場合は硬いフエルトを入れています。
ウェブはこれまでと同じクロスワン(十字型)ですが、段差のない新しいデザインになりました。通常クロスワンは横のバーと縦のバーと2枚の革を重ねて作るんですが、それを1枚の革で作っています。
今回の松井モデルのために新たに提案したもので、これまでにない松井モデルオリジナルのウェブデザインです。
松井選手のロゴも一新しました。デザイン部で10案ほど考えまして、その中から松井選手に一番気に入ったものを選んでもらいました。グラブの色については、実は去年も色を変えたかったらしいんです。
でも2年連続でゴールデングラブ賞をとっていたので、ジンクスといいますが、色を変えることがやっぱり不安なんでしょうね。今年は新たに大リーグに挑戦するということで、松井選手からブラックも使ってみたいとおっしゃってきました。
これまでコルクとブラックの2色作りまして、松井選手にお会いしたいときに交互に使ってほしいですと言って手渡しました。松井選手もとても気に入ってくれました。 大リーグ用の新しい松井モデルで、大リーグでもゴールドグラブ賞を目指してほしいと思っています」 |
松井秀喜と久保田、坪田の二人のマイスター。
これからも大リーグという大きなステージで、新たな夢を私たちに与え続けてくれることだろう。 |